February 14, 2005
フォルクソノミーのどこが偉いかについて
目下フォルクソノミーが大流行で、実際に自分でもいくつかのサービスを使ってみている。で、「いったいこれらのサービスのどこが偉いのだろう」ということを考えてみた。フォルクソノミーについてはすでに沢山のblogで記事が書かれていて、付け加えることはあまりないのだが、自分の考えをまとめるという目的もあってここに書き散らしておきたい。
まず、「タグ付け」については比較的どうでもいい。「タグ付け」であるか「フォルダ分け」であるかというのは本質的じゃない。どちらもコンテンツにメタデータを付与するという点では同じであり……とか抽象的な議論をするよりも、フォルダ分けはタグ付けの一形態として考えたほうが分かりやすい。つまり、フォルダ分けは次のような特徴を持つタグ付けの一種である。
- タグは階層構造を持つ
- タグはたった一つだけ付けることが出来る
また、両者は決して対立する概念ではない。二者択一でどちらかを採らなくてはならないようなものではなく、両方を組み合わせたやり方もありうる。たとえばSpurlのような。
で、フォルクソノミーでタグ付けが用いられる理由であるが、単純にフォルダ分けに比べてユーザの負荷が少ないからだろうと思う。フォルダ分けをするには、複数のコンテンツから共通する言葉を取りだし、それを階層構造を持った概念の木のなかに位置付けるという、わりと抽象的な頭の使い方をしなくてはならない。これは面倒でやりたくない。タグ付けだとたった一つのコンテンツだけを見て、そこから適当に思いついた言葉を打ち込んでおけばいいので断然ストレスを感じない。
重要なのは個々人が、自分の主観に基づいたタグを自由に付けられるという点にある。誰かから与えられるのではなく、自分でタグを付けることには意味がある。当然のことだが、あるコンテンツにどのようなメタデータを付けるかというのは個人によって異なりうる。「どこに注目するか」「どう解釈するか」というのは人によって違うからだ。たとえばサッカー日本代表が北朝鮮に勝った記事を見て、サッカーファンなら「日本代表」というタグを付けるし、日本代表の熱心なサポーターなら「北朝鮮戦」というタグを付けるだろう。中村俊輔の大ファンなら「俊輔」と付けるかも知れないし、北朝鮮フリーク(そんな人がいるのかしら)なら「北朝鮮」と付けるかもしれない。あたりまえだけど、「自分のものの見方」にもっともマッチしたタグを付けられるのは、自分自身だろう。
そして、それがSNS的なシステムに乗っ取ってたくさんの人たちで共有されるというところが肝なのだとおもう。コンテンツについて「それを誰が取り上げたか」「どういうタグを付けたか」という2つのデータが付与されることによって、タグを横軸、人を縦軸としたメッシュ状のネットワークができる。その中をにょろにょろと探索するのが非常に楽しくエキサイティングであることは、フォルクソノミーなサービスを使ったことがある人なら分かるのでは。
情報工学の研究者からすると、こういうサービスが普及し、そのデータに自由にアクセスできる(del.icio.usのようにAPIが提供されることによって)ようになるのはとても興味深いことだ(たぶん)。いまblogをネタにした研究が数多く行われているように、近いうちにフィロクソノミーもホットな研究テーマとなるかもしれない。
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Comments
>近いうちに"フィロク"ソノミーもホットな研究テーマとなるかもしれない。
最後の締めで噛んじゃったよ.
知らないうちにフォルク園美ブームが起こってたんで僕に今度教えてください.
たぶん感覚的に理解したほうがはやいので、http://del.icio.us/
を使ってみてはどうかしら。
超便利なのでお勧め。
どうでもいいけどフォルクローレと間違えました。
東北行ってきます。
いてら〜
